2010年09月22日

指導すると言う事、学ぶと言う事

 理論やらセオリーやらと言う物は、
要するに先人の血と汗の結晶であり、知恵と軌跡の粋である。
試行錯誤の結果として積み上げられた物を無視して、同じ試行錯誤をする事は
あまりに無為な愚行と言わざるを得ない。

 が、惜しむらくは「何故そのセオリーが組み立てられたか」を
正しく伝えられる人があまりに少ない事。
限られた時間でいちいち理屈から逐一説明してられない、と言う現実はわからなくもない。
が、
「○○は××である、そう言う物なんだから言う事聞け」
「俺たち先輩はそうやってきたんだから言う事聞け」
こんな上から目線で結果だけを投げ落とすやり方で、
反骨心めいた若者気質溢れる青少年たちが「はいそうですか」と聞いてくれる物か。
また聞いたところで、上っ面だけ覚えさせる一夜漬けの試験勉強的な学習が
本当に本人の「理解」に通じる物なのか。

 さすがにもう若くない年齢にもなると年下のバイトを引っ張るケースが増えてきて、
「指導」と言う物の難しさを心底から感じる日々でした。
posted by 霧野 流 at 09:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/40860646
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック